3-9
「ひゃひゃひゃひゃ、これで今月の利益は……ひゃひゃひゃ!」計算機を叩くアヌ婆さんは笑いが止まらないらしく、何度も今月出るであろう利益を計算している。
「じゃあ、少しは給料に色をつけてくれよ」咳をしながらもハンドルを手放さないベネットは、恨みがましい面持ちでアヌ婆さんを見やっている。
「…………」クレアはさらに大敗したらしく、うな垂れたまま無言。時折『赤が出ていれば……』とか『まさかあそこでフォーカードが出るなんて……』と愚痴をこぼしている。
ジャクソンは、微動だにしない。瞬きする事もなく腕を組み、後部座席から一点を凝視し続けている……本当に起きているのだろうかと、疑問に思ってしまうほど動かない。
「ひゃひゃひゃ……ちょっとベネット、これ」
話しかけられたベネットは、運転しながら動体レーダーを覗き込み……ブレーキをかけた。
「おいおい……どうして、一キロ手前に、いきなり出るんだよ」
二人は、食い入るように備え付けられていた動体レーダーを見ていた。赤い光点は、一直線にトレーラー目掛けて直進してきている。が、ベネットの言うように、この動体レーダーの索敵範囲は五?。何故一?手前まで捕捉できなかった?
「ふぁぁぁぁ……よく寝たぜ。どうやら、オレ等の出番のようだな」
後部座席を顧みると、ジャクソンが大きく伸びをしつつ、欠伸をしていた……微動だにしない訳だ。それにしても目を開けたまま寝る、というのははじめて見たな。
「レーダー上での移動速度を見る限り、逃走は無理だと思った方がいいわね」
クレアの指摘通りだ。トレーラーの最大速度が時速百?。秒速に直せば三十mを下回る。が、レーダーに映っているこいつは、秒速で五十〜七十mはありそうだ。
「バアさんとベネットはトレーラー動かして、少し下がってろ。もしオレ等が全滅したら、とっと逃げな」ジャクソンはホルスターから二挺の大口径拳銃を取り出し、弾丸を込める。
「……何の恨みもないけど、ストレス発散には丁度いいわ。負けがこんでいたし」腰の鞘から『アゾット』を抜き、クレアは一足先にドアを開け、トレーラーから飛び降りた。
猛烈な冷気がトレーラー内を満たす。そう、もう、戦場はすぐそこにある。気を抜いてはいられない。俺も陰陽を抜き、スーツのバッテリーをチェック。ドアを開け、真白い大地に降り立つ。トレーラーが引き返すエンジン音を背に、ヘルムのバイザーを下ろす。動体レーダーが補足する赤い光点がバイザーに映し出され……いや、バイザーをおろして、位置を確認するまでもなかった。白煙と見紛うほど雪を巻き上げ、駆けて来る存在が目につく。
「怪生物の種類がわかんねえからな……とりあえず、オレと嬢ちゃんが遠距離から様子見をする。場合によってはシロ、オマエは相手の懐に潜り込む形で囮になれ」
妥当な戦術だ。そもそも俺には遠距離から攻撃する手段がないのだ、異存は無い。
スーツの駆動率を最大に設定。電磁加速を開始。陰陽を起点に、スーツが磁場に包まれていく。幸い、ここには障害物は一切無い。方向転換も制動距離を考える必要性もない。敵は甲殻虫のみで、味方は二人。精密な動作を要求されない分、より速度を出せる。
「じゃあ、ボチボチやるか……出番だぜ、アッハライ!」
叫びと共に二挺の拳銃―アッハライ、という名のブレイン・ウエポンは聞いた事がないから、特注品だろう―が雪煙に照準を当てる。引き金が絞られるのと同時に加速された荷電粒子が射出された。光速の数パーセントというデタラメな速度で繰り出された光の槍は、狙い違わず雪煙に命中すると同時に轟音と微かな地響きを巻き起こす。
「さって……これで終わってくれたらいいんだが」
「まだだ、地中を潜ってきているぞ!」バイザーには、赤い光点がここ目掛けて直進してきている!
足元に伝わる微かな震動を感じ、咄嗟に右へ跳ぶ。眼前が、爆ぜた。地中から出現したそれは咆哮すると同時に、身震いして酸性雪を振り落としていく。
「デケェ……!」「ちょっと……冗談じゃないわよ!」
見上げたその標的の大きさに、俺も固唾を呑んでしまう。
フォルムはムカデ。ただし、その外皮が鋼鉄じみた硬度を持つ甲殻虫だ。『ドラゴン・ウォーズ』中、インセクト・ドラゴンに対抗する目的で産み落とされた遺伝子工学の結晶。甲殻虫は成虫でも五メートル前後の大きさだが……これは、どう見ても十メートルはある!
その牙を剥き出しにし、甲殻虫は手近にいたクレアに狙いを定めた。
「なぁめんじゃないわよ!」クレアは距離を取りつつもアゾットを発動させ、人を丸呑みに出来るだけの大火球を数個放つ。
が、ぶ厚い甲殻に包まれたそれには何のダメージもないのか、火球を避ける素振りすら見せない。いや、そもそも炎が、甲殻虫にまで届いていない?
呆気に取られたクレアは、大顎を開く甲殻虫を見上げているだけ……
「……チッ、クソッタレ!」ジャクソンの位置からでは、射線上にクレアが被ってしまう。
俺が、何とかするしかない。だが、百m以上の距離があるこの状況で間に合うか?!
分泌された脳内物質によって向上された速度に電磁加速が相乗する事で、直線を駆けるだけならば、マッハ五を超える速度を出す事が可能だ。
甲殻虫の太く、長い巨体が鞭のようにしなる。
右足にあらん限りの力を込め、大地を蹴る。
咆哮を聞いたクレアがようやく回避行動を取り始めるが、振り下ろされる首の方が早い。乱杭歯に噛み砕かれる事は避けられても、その巨体に押し潰されるのは目に見えている。
大気の摩擦、神経の消耗、筋肉繊維の細かな断裂が今すぐ疾走を止めろと訴える。止めた瞬間、彼女は死ぬ。無茶だろうが無謀だろうが、止める事が出来るか!
左へクレアが跳ぶ。振り下ろされた首は酸性雪の中に埋まった。反撃に出ようとアゾットを構えるクレアだが、その尾が彼女の右側面から襲い掛かる。
尾にその華奢な身体が叩かれる寸前に、俺は身を低くしてクレアの身体を後方から掬い上げる形で左肩に担ぎ上げ、そのまま離脱。両足を踏ん張り、さらには右の陽を地に突き立て制動をかける。
酸性雪にめり込む形で止まった俺は顔を上げる。ざっと見ても甲殻虫から百m以上離れている。
俺はスーツに付属している通信素子に向かって叫ぶ。
「ジャクソン! 距離を取れ、距離を……くそ、通じない……!」遠距離戦がベースのジャクソンでは、十メートルもない距離で、甲殻虫に単独で挑むのは……
「ふざけんじゃねえぞ、このムシモドキが!」鬼のような形相に反し、ジャクソンはダンスを踊るような鮮やかさで、牙を、巨体を、その攻撃の悉くをかわしていた。
こうしてはいられない……足をはじめとした全身の筋肉が、悲鳴をあげているが、痛む身体に鞭打ち、
「あんた」肩をつかまれた。振り向くと、クレアはその瞳を爛々と輝かせていた。「デカイ奴ぶっ放すから、ちょいと時間稼ぎなさい」
怒りを帯びた嘶きが聞こえ、我に返った俺はクレアに頷きつつ駆け出す。
甲殻虫が口腔を開けた。吐き出されたのは恐らく、その胃袋に持つと言われる濃硫酸。まともに受けては骨の一本すら残らない代物だ……!
「しゃらくせぇ!」口腔から発せられた一面を覆う濃硫酸に対し、ジャクソンはアッハライを向け、発射。荷電粒子の光が、濃硫酸を吹き飛ばす。
甲殻虫の背後から俺は駆け抜け様、その外皮に陰陽の刃で切り掛かる。鈍い手応え……だが、硬いものに切り掛かった時独特の痺れが無い。やはり、本体に攻撃が届いていないのか。にも関わらず、甲殻虫は怒号を発し、首だけでこちらを顧みた。吐き出される濃硫酸と、叩き付けてくる巨体のために、回避に専念せざるを得ない。巻き上げられる雪煙に紛れるよう標的に対し回り込み、どうにかジャクソンのすぐ側まで近付けた俺は、この甲殻虫が持つ能力について叫ぶ。
「ジャクソン! この甲殻虫、電磁場の制御をしているぞ!」
恐らくその外皮を覆うようにして、電磁場の盾を展開しているはずだ。そうでなければ炎や刃、荷電粒子砲で一切の傷がつかない事に対し、説明が出来ない。むしろ、電磁場の盾を恒常的に展開しているのであれば、レーダーに一?手前まで探知されなかった理由と、通信が出来なかった説明がつく。
濃硫酸をアッハライで迎撃したジャクソンは、俺と共に大きく後退。
「チッ……シロ、さっきのあれ、もう一回やれや!」
「さっきのあれ? なんだ?」
「嬢ちゃん助けた時の、デタラメに速ぇあれだよ! 見ろ」
ジャクソンが指差した甲殻虫の尾は、今まで気付かなかったが千切れかかっている。よくよく振り返ってみれば、クレアを助けたあと甲殻虫は、尾を一度も振り上げていなかった。
「あの時の衝撃で、尾が裂けかけたんだろうさ。あれなら、いける」
確かに、マッハ五を超える衝撃波ともなれば、相当なものだろう。しかし……
「……悪い。もう一度やれと言われても、多分出来ない」
「はぁ?! おい何言ってんだオマエ?!」
「あんな速度を、今まで出したことなんてない! あの時は無我夢中だったんだよ!」
それに……全身の筋肉が、悲鳴をあげている。出来たとしても、威力は落ちる。
「……それに、もう、時間稼ぎは十分だろう?」
俺は、甲殻虫の頭上を視線で見やった。
上空百メートル辺りに、直径で百mにも及ぶ小型の太陽が轟々と燃え盛っていた。雪原の向こう側では、クレアが不敵な面持ちで、アゾットを掲げており……その切っ先を、一切の迷い無く振り下ろした。
「おいおい、あんなデカ物落とされたら、こっちも危ねぇ。距離取るぞ」
ジャクソンと共に、さらに後退しながら、標的を見やる。
急降下する擬似太陽に気付いた甲殻虫は、嬌声めいた雄叫びをあげる。その身を覆っていた電磁場の盾を、擬似太陽の降下を阻止するため、上空へ展開させたのだ。
……もしあの甲殻虫に、人並みの知性があったならば、電磁場の盾など展開せず、地中に潜っていた事だろう。
擬似太陽の地表への接近は、止まらない。その膨大な熱量の前には、電磁場の盾など霞に等しい。雄叫びは、すでに悲鳴めいた慟哭にすら聞こえてくる。
地表に落下寸前で、俺もジャクソンも地に伏せた。
瞬間、辺り一面の酸性雪を飲み込む事で、大規模の水蒸気爆発が生じた。地が、揺れる。雪を、大気を、甲殻虫を、全てを吹き飛ばしたその先に、アゾットを持つクレアだけが立っていた。
「やるねぇ……嬢ちゃんが敵じゃなくて、よかったよかった」
ジャクソンは、アッハライをホルスターに収め「シロ!」突き飛ばされた。
尻餅をついた俺が、顔を上げると……眼前には、先程よりはるかに小さい甲殻虫に、腹部の辺りに喰い付かれたジャクソンが宙吊りにされていた。傷が深いのか、足先から血が滴っている。
「さっきの、奴の、子どもか……二匹、いたとは、な……クソッ、タレ」
その頭部へ、震える手でアッハライをホルスターから取り出し、銃口を直につけ……発射。甲殻虫の頭部が吹き飛ばされると、甲殻虫の身体が崩れ落ちた。
「ジャクソン!」受身を取る事も出来ずに地表に落下したジャクソンの身体へ走りより、傷口を検める。
「最後の最後で……ヘマしちまった……」腹部からは湯気が立ち上っており、赤く染まった手は、食い千切られた腸を抑えていた……「シェン教で言うとこの、お陀仏ってやつさ……ゴホッ」飄々と言いつつも、激しく咳き込み、血塊を吐き出す。
「……どうして……!」俺を助けたんだ? お前なら、俺なんかに構わなければ、充分逃げられたのに……!
「目ぇ閉じると、見えるんだ。先に逝ったダチの顔がよ」
瞼を閉じると、いつもいつも、アイツ等は笑ってんだ。
「……それが、辛くてな。気付いたら、眠る時も目、開けたまま、寝るようになった……挙句の果てには、ヤケ起こして、こんな場所に、流れ着いちまったのさ」
足音が聞こえる。顔を上げれば、クレアが息を切らせて眼前に立っていた。
「クレア、何とかしてくれ……!」前、ミュンツァーの兵に処置を施したように……!
「……無理よ。血管だけじゃなく、内臓が、やられている」力無く首を横に振り、固い面持ちでジャクソンの顔を覗き込む。「良かったら、楽にしてあげようか?」
「ちょいと、待ってくれ。それと、席、外して、くれっか?」
そう言って、ジャクソンは俺を見上げる。
クレアはジャクソンに配慮したのか、背を向け、無言で離れていった。
「……相手を、殺さなきゃ、切り抜けられねえ、状況が、あそこには、たくさん、ある……殺さねえ、なんてのは、絵空事だ。覚悟を、決めろ。さもなきゃ、オマエ、命だけじゃなくて、もっと大切なもの、喪うぞ」
息が、どんどん荒くなっていく。抱える身体が、冷たくなっていく……!
「ダチって、いいもんだぜ……ダチを、守りたくて……イクステリア……なったのに……したことと、言えば……敵を、殺して、殺して、殺しまくった、だけ、か」
声が、どんどん、小さくなっていく……!
「ジャクソン、しっかりしろ……!」
「けど……最後に、ダチ、守れたからな……オレの人生、捨てた、もんじゃ、なかった、かもな……」大きく、息をつき、焦点の合わない瞳で、こちらを見た。「オレが、死んだら、瞼、閉じてくれ……ロカ、ゲイツ、ビスハイル隊長……今、そっち、行くぜ」
焦点の合わない瞳は、見開かれたまま。
「……ジャクソン?」しかし、その口は、動かない。「ジャクソン? おい、ジャクソン?!」身体を揺さぶる。反応は、無い。もっと強く、揺さぶる。反応は、無い。
「ジャクソン……! ジャクソン……!」
いくら、呼びかけても、ジャクソンが、再び口を開く事は、なかった。